歌詞 対訳 BWV 140 目覚めよ、と呼ぶ声あり カンタータ Wachet auf, ruft uns die Stimme

賢い乙女と愚かな乙女のたとえ話
賢い乙女と愚かな乙女のたとえ話

2回しか演奏の機会がなかったカンタータ

”BWV 140 目覚めよ、と呼ぶ声あり”は三位一体の祝日後第27日曜日のためのカンタータです。

復活祭が3/22から3/26の間にあった年にのみ公演されるため、バッハの在任中では1731年と1742年の2回しかなかったといいます。

お披露目される機会が少ない曲ですが、バッハのカンタータの中でも有名な曲の一つだと思います。

マタイによる福音書 第25章 「10人の乙女のたとえ」

このカンタータの構成は” マタイによる福音書第25章の「10人の乙女のたとえ」”

マタイによる福音書 第25章
「十人のおとめ」のたとえ
1「そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。3愚かなおとめたちは、灯をもっていたが、油の用意をしていなかった。4賢いおとめたちは、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。5ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。6真夜中に 『そら、花婿だ。迎えに出よ』 と叫ぶ声がした。7そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれの灯に火を整えた。8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。 『油をわけてください。私たちの灯は消えそうです。』 9賢いおとめたちは答えた。 『分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』 10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り戸が閉められた。11その後で、ほかのおとめたちも来て、 『ご主人様、ご主人様、開けてください』 と言った。12しかし主人は、 『よく言っておく、私はお前たちを知らない』 と答えた。13だから、目を覚ましていなさい。あなたがたはその日、その時を知らないのだから。」

『聖書 聖書協会共同訳』 日本聖書協会 新約聖書p48

単純に解釈してしまうと、”何事も準備を怠ると痛い目にあいますよ”的な処世術を語っているように思えます。また、油を分けてくださいと頼んでいるのに、「自分で買って来なよ」という場面は、なんだか意地悪だなと思えますよね。まずは曲のタイトルから見ていきましょう。

「目覚めよ」とは何か?

このカンタータのタイトルは”目覚めよ、と呼ぶ声あり”
聖書の最後の部分には”目を覚ましていなさい”という一文があります。

「目覚めよ」「目を覚ましていなさい」とは何を言っているのか。それがこの曲のテーマでした。

キリスト教にとって油は聖霊の象徴。三位一体という考え方をもっており、人に宿り、啓示を与え、聖化へと導く。助け主であり、慰め主である。イエス・キリストは神の子であり、それが受肉して人となった存在であると。そのイエス・キリストはヘブライ語では「メシア」と呼ばれる。メシアとは、もともとは「油注がれた者」という意味をもつ言葉でした。

油を注がれることで聖霊の「証印」(霊印)を受けます。「油を注がれた者」とは、神によってある務めを与えられた人となるといいます。

 十人のおとめのひとりが言った、『油をわけてください。私たちの灯は消えそうです。』

この文面の意味は、意地悪で分けてあげなかったわけではなく、それが聖霊(霊印)だとすれば、人から人へ分け与えられるものではなかったことを暗示しています。

十人のおとめはまだ「油を注がれた者」ではありません。ゆえに、今後の行いにより神の国へ迎えられるかもしれない十人のおとめたちでもあります。

神によってある務めを与えられるのであれば、それはいつ何時かは人にはわからない。見逃してしまえば神の国への門戸は閉ざされてしまう。であるからこそ、いつ何時でも備えを怠らずに「目を覚ましていなさい」と語る。

「10人の乙女のたとえ」で語られている内容はこういった意味なのではないでしょうか。もちろん「目を覚まして」の意味は、医学的な覚醒状態を指しているのではなく、聖霊を受け入れるべく信仰に目覚めておきなさいということです。

キリスト教にとってこの聖霊とは何か。それは人に宿ったり、人に啓示を与えたり、人に奇跡をみせたり、恩寵を与えたり、聖化へと導く神そのものであるという。(三位一体)

人は聖霊を受け入れるべく何をすればいいのか。

シモーヌ・ヴェイユの探求

一例となるかわからないけども、似たような事象をストイックに探求していたと思うシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』から引用してみたいと思います。

恩寵は充たす。ただし、恩寵を迎え入れる真空のあるところにしか入り込めない。かつ、この真空を生みだすのもまた恩寵である。
 報いを得る必要、与えたものに過不足なく釣りあう見返りを受けとる必要。だが、この重力のごとく強力な必要を力ずくで抑え込んで真空をつくりだすと、誘いこむような気流が生まれ、超本性的な報いがふいにおとずれる。ただし他の報酬があると、報いはやってこない。この真空が超本性的な報いをまねきよせる。だがおそらくは、超本性的な報酬を願っていたのではだめだ。
・・・
 自身のなかの真空を受け入れる。これは超本性的である。見返りなき行為をおこなうエネルギーをどこに求めるのか。エネルギーはよそから来なければならない。しかし、あらがじめ剥奪による絶望に苛まれねばならない。まずは真空が生じなければならない。真空。暗夜。

『重力と恩寵』 シモーヌ・ヴェイユ 岩波文庫 p29p29

恩寵つまりは神の存在に触れるには、真空を作らねばならないという。しかもその真空はあらかじめ剥奪による絶望とあるように、何か不幸のどん底に叩き落されるような、犯罪の被害を甘んじて受けいれるような状態である必要があるようです。ゆえに、

恩寵とは下降運動から成る法則である。

『重力と恩寵』 シモーヌ・ヴェイユ 岩波文庫 p16

しかし、この真空は他者に悪を働くことで自ら満たすこともできるという。

他者に悪をはたらく、それは他者からなにかを受けとることだ。なにを。悪をはたらくとき、人間はなにを得るのか(いずれ代価を支払わねばならぬにせよ)。自己を増幅させ、自己を拡張する。他者のうちに真空を穿つことで、自己のうちなる真空を充たすのだ。

『重力と恩寵』 シモーヌ・ヴェイユ 岩波文庫 p20

 真空を求めてはならない。真空をみたす超自然の糧をあてにするのは、神を試みることだから。キリストの第二の誘惑。
 真空を避けるのもいけない。キリストの第一の誘惑

『重力と恩寵』 シモーヌ・ヴェイユ 岩波文庫 p49

キリストは人間の悲惨のすべてを味わいつくした。罪をのぞいては。だが、人間を罪へと走らせる元凶のすべてを知っていた。人間を罪へと走らせる元凶、それは真空である。あらゆる罪は真空を埋めつくさんとする企てである。かくて穢れに充ちたわたしの生も、完璧に浄らかなキリストの生とかけ離れてはいない。はるかに低劣な生についても同様だ。わたしがどこまで低く堕ちても、キリストからさほど遠ざかるわけではない。だたし、あまりに低いところまで堕ちてしまったなら、もはやこのことを知るすべもあるまい。いつの日か、恩寵をうけるその日が来ないかぎり、わたしに知るすべはないのだ。

『重力と恩寵』 シモーヌ・ヴェイユ 岩波文庫 p50

「信仰」について語っている箇所もありますが、脱線はここまでにしたいと思います。興味のある方は『神を待ちのぞむ』も読んでみてください。

「目覚めよ」とか「目を覚ましていなさい」という言葉から、すごい迷宮に入り込んでしまいました。ひとつわかることがあると思います。それは、ここでいう「目を覚ましている態度」は、一朝一夕ではいかないことだということです。

「10人の乙女のたとえ」でさらっと聖書では語りますが、なにか核心に迫る内容なのだと思います。三位一体の祝日後第27日曜日は教会暦では最後の日曜日にあたります。一年の最後の締めくくりとして歌われるカンタータというのは偶然ではないでしょう。それはイエスの到来の予感と喜びに溢れた曲調で締めくくられております。

BWV 140 歌詞・邦訳

BWV 140 Wachet auf, ruft uns die Stimme 目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声

Wachet auf, ruft uns die Stimme
Der Wächter sehr hoch auf der Zinne,
Wach auf, du Stadt Jerusalem!
Mitternacht heißt diese Stunde;
Sie rufen uns mit hellem Munde;
Wo seid ihr klugen Jungfrauen?
Wohl auf, der Bräutigam kömmt;
Steht auf, die Lampen nehmt!
Alleluja!
Macht euch bereit
zu der Hochzeit,
Ihr müsset ihm entgegen gehn!

目覚めなさい、と声が私たちを呼んでいます
物見たちの声が はるか高く 望楼の上から。
目覚めなさい、エルサレムの街よ!
いま、時刻は真夜中。
物見たちが 明るい声で私たちを呼んでいます
あなたたちはどこにいるのか?賢き乙女たちよ
さあ、花婿がやって来ます!
起きなさい、灯りを取りなさい!
アレルヤ!
支度しなさい
婚礼に向けて、
花婿を出迎えるのです!

Er kommt, er kommt,
Der Braütgam kommt!
Ihr Töchter Zions, kommt heraus,
Sein Ausgang eilet aus der Höhe
In euer Mutter Haus.
Der Braütgam kommt, der einem Rehe
Und jungen Hirsche gleich
Auf denen Hügeln springt
Und euch das Mahl der Hochzeit bringt.
Wacht auf, ermuntert euch!
Den Braütgam zu empfangen!
Dort, sehet, kommt er hergegangen.

彼が来る、彼が来る
花婿がやって来る!
シオンの娘たちよ、出てきなさい、
彼が急いで天から降りて来る、
あなたたちの母の家へと。
花婿は来る、彼はカモシカや
若いシカのように
丘を飛び越え、
あなたたちに婚礼の宴をもたらす。
目覚めよ、しっかりしなさい!
花婿を迎えるのだ!
あそこだ、見よ、花婿がやって来る。

Wenn kömmst du, mein Heil?
Ich komme, dein Teil.
Ich warte mit brennendem öle.
Eröffene den Saal
Ich öffene den Saal.
Zum himmlichen Mahl.
Komm, Jesu!
Komm, liebliche Seele!

いつあなたは来るのですか、私の救いよ?
私は来る、あなたが受けるべきものとして。
私は油を灯して待っています。
広間の扉を開けてください。
私は広間の扉をあける
天の宴へと
きてください、イエスよ!
来なさい、愛しき魂よ!

Zion hört die Wächter singen,
Das Herz tut ihr vor Freude springen,
Sie wachet und steht eilend auf,
Ihr Freund kommt vom Himmel prächtig, 
Von Gnaden stark, von Wahrheit mächtig
Ihr Licht wird hell, ihr Stern geht auf.
Nun komm, du werte Kron,
Herr Jesu, Gottes Sohn!
Hosianna!
Wir folgen all zum Freudensaal
Und halten mit das Abendmahl.

シオンは物見たちの歌うのを聞いて、
その心を喜びで躍らせ、
目覚めて速やかに起きあがります。
彼女の愛する方が、天より壮麗にやって来ます、
恩寵によって力強く、真理によって猛々しい。
シオンの光が明るく輝き、その星が昇ります。
今こそ来てください、貴き冠よ、
主 イエス、神の子よ!
ホサナ!
私たちは皆 ついていきます 喜びの間へ
そして晩餐を行います。

So geh herein zu mir,
Du mir erwählte Braut!
Ich habe mich mit dir
Von Ewigkeit vertraut.
Dich will ich auf mein Herz, auf meinen
Arm gleich wie ein Siegel setzen
Und dein betrübtes Aug ergötzen.
Vergiß, o Seele, nun
Die Angst, den Schmerz,
Dn du erdulden müssen;
Auf meiner Linken sollst du ruhn,
Und meine Rechte soll dich küssen.

さあ 私のもとに来なさい、
私のために選ばれた花嫁よ!
私はあなたと
永遠の昔から結婚していたのだ。
あなたのことを、私はこの心と
この腕に 印章のように刻み、
あなたの悲しげな目を喜ばせよう。
忘れなさい、ああ魂よ、今こそ
怖れ、痛み、
あなたが耐えなければならないものを。
私の左手で あなたは安らぎ、
私の右手が あなたに口づけするだろう。

Mein Freund ist mein,
Und ich bin sein.
Die Liebe soll nichts scheiden.
Ich will mit dir in Himmels Rosen weiden. 
Du sollst mit mir in Himmels Rosen weiden,
Da Freude die Fülle, da Wonne wird sein.

私の恋人は 私のもの。
そして私は 神のもの。
この愛は切り離されません。
私はあなたと共に天のバラ園で草を食むでしょう
あなたは私と共に天のバラ園で草を食むでしょう
そこで喜びは満ち、歓喜となるだろう。

Gloria sei dir gesungen
Mit Menschen und englischen Zungen,
Mit Harfen und mit Zimbeln schon.
Von zwölf Perlen sind die Pforten,
An deiner Stadt sind wir Konsorten
Der Engel hoch um deinen Thron.
Kein Aug hat je gespürt,
Kein Ohr hat je gehört
Solche Freude.
Des sind wir froh,
Io, io!
Ewig in dulci jubilo.

栄光の賛歌が、あなたに歌われますように
人々ろ御使いたちの舌でもって、
琴とシンバルでもって美しく。
十二の真珠で門は飾られ
あなたの都に私たちは集います
御使いたちと共に、あなたの玉座の周りに。
どんな目も 見たことがなく、
どんな耳も 聞いたことがありません、
このような喜びは。
それを私たちは喜び叫びます、
イオー、イオー!と
永遠に、甘き響きの中で。

『新装版 対訳J.S.バッハ声楽全集』 若林敦盛 慧文社 p282

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