歌詞対訳 BWV 106 神の時こそいと良き時

BWV 106 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit 神の時こそいと良き時 「哀悼行事」

テーマは「死」?

ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会のオルガニストとして働いていたバッハ22歳頃の作品だそうです。別名「哀悼行事」(Actus Tragicus)

葬儀に使う曲とされており、カンタータに分類されていますが教会暦とは関連のない作品になります。歌詞の内容からテーマは「死」であると予想されます。

「掟としての死」→恐怖・葛藤→「救済としての死」→死を受け入れていく、という構図でしょうか。
曲の前半が死への恐怖・葛藤を、後半が安らかな死・救済の享受を歌っているようです。

本当にバッハが22歳頃の作品なのかと驚いてしまいます。

ルター派に属するバッハですが、控えめにして慎重に「信仰とは何か?」を純粋に語りかけてくる作品のように思います。歌は聖書から各々「死」に言及される箇所を抜き出して書かれており、ルターのコラールからも引用されてる箇所があります。手が込んでいるなと感じます。

BWV 106 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeitは、個人的にですが、信仰や宗教とは何かを考えさせられる作品です。

宗教とは何か?

人はなぜ超越的な何かを、神と呼ばれる何かを信じようとするのか。アメリカで同時多発テロを経てリチャード・ドーキンスは『神は妄想である』を書いています。かなりインパクトのある本です。

ドーキンスは神の存在の実証性の乏しさをこと細かに批判していく。そして、宗教は何か便利なものの副産物として生まれたのではないかと仮説しています。

それから時が経て、進化心理学の視点からあのロビン・ダンバーも宗教に言及しています。ここで少し脱線しようと思います。

有名なダンバー数の150人は、集団を作る宗教にも当てはまるようです。

一般的な傾向として、宗教を信仰する人は幸福で、人生に満足していることがわかっており、信仰に積極的な人は、そうでない人よりも健康であることも確かめられているといいます。そしてもう一つ見逃してはならないことに、集団結束の効果があると考えられています。

なぜこのような効果が認められるのか。そこには私たち人類の脳内で分泌される神経伝達物質のエンドルフィンが関係していると考えられているようです。一対一のグルーミングにおいて、つまり毛づくろいにおいて、エンドルフィンが分泌することが分かっています。

エンドルフィンとは脳内で働く鎮静剤で、化学構造がアヘンによく似ており、アヘンのように気持ちを落ち着かせ「世はすべてこともなし」という暖かな幸福感をもたらす。そしてアヘンに似た効果で、強い痛みに耐えられるようになる。また重要な下流効果も二つある。ひとつは免疫系によるNK(ナチュラルキラー)細胞の増殖をうながすことだ。NK細胞は体内に侵入したウィルスなどの病原体、また癌細胞を発見し破壊するという、身体の機能における重要な役割を果たす。第二章で宗教が健康に良いという話をしたが、その理由の一部もこれで説明できるかもしれない。エンドルフィンのもう一つの効果は、結束を強めることだ。グルーミング中にエンドルフィンが分泌され、暖かな気持ちになると、グルーミングしてくれる相手への帰属意識と信頼感が生まれるようだ。要はエンドルフィンは気分を明るくして、相手との強いつながりを感じさせてくれるだけでなく、免疫系の調整も行って、健康な状態を保ってくれるということだ。

ロビン・ダンバー『宗教の起源』白陽社 p123

サルと類人猿ではグルーミングの数が限られています。サルの場合、結束社会集団の大きさはおよそ50頭で頭打ちになってしまうといいます。しかし、人類猿は二人以上に同時にグルーミングする方法を獲得していきます。それが笑うこと、歌うこと、踊ること、感情に訴える物語を語ること、宴を開くこと、そしてそれらを複合させた宗教儀式へと形を変えていきます。

いま聞いている 教会音楽 カンタータ―もこのグルーミングの延長線上にある行為といってもいいかもしれません。ダンバーはさらに人間の結束社会集団の大きさは150人あたりが限界であると導き出します。

信者集団も、教会も、宗教も、すべて人間の組織である以上ほかの社会集団と同じく、社会脳による人数面と心理面の制約を受ける。集団のなかには、特異な信念が芽生えてきて存在が浮いたり、話が合わなくなったりする個人はかならず出てくる。共同体がおよそ150人までなら、顔と顔を突きあわせて話しあえば、よくしっている者どうしの義理も働いて、妥協点を見いだせる可能性がある。けれども集団の規模がそれ以上になると、この仕組みが働かない。顔を合わせる機会が減って、文化の一貫性を保てなくなるのだ。意見の衝突とそこから生まれるストレスは組織構造を壊していく―それを防ぐには、上の立場から規律を強制するしかないのだ。

ロビン・ダンバー『宗教の起源』白陽社 p274

歴史の古いカトリック教会が慣習的に規律が多いのは、偶然ではなさそうです。しかし、プロテスタント教会だからといって規律が少ないとは必ずしも言えないことを物語っています。ダンバーの研究を顧みれば、共同体の規模が150人を上回るとガミガミ言う人が現れるのは必然なのかもしれません。そしてそのとき、規律の少ないプロテスタント教会の方が逆にたち悪い姿を見せる可能性が大いにありえることを意味しています。

ゆえに世界宗教には絶えずカルトやセクトが生み出されていくようです。共同体を作り、束ねることが宗教のめざすところであるにも関わらず、亀裂が起きてしまう。歴史が物語るように、宗教の傍らには対立と分裂の血の跡が色濃く残っています。

この激しい暴力に飾られている宗教の歴史から、ドーキンスのように宗教を嫌悪する気持ちがないわけではないと思います。しかし、私たち人類はそこから逃れることはできそうもないと。ダンバーは最後にこう締めくくっております。

宗教は人間に深く根ざした特性である。中身は時代とともに変わるだろうが、良くも悪くも私たちから離れることはけっしてないのである。

ロビン・ダンバー『宗教の起源』白陽社 p286

バッハと信仰

かなり脱線してしまいました。バッハの話に戻しましょう。
バッハが生きていた時代は、ルターによる宗教改革から200年が過ぎた頃になります。カトリックから離れ聖書第一主義を標榜する傍らで、時が経るとルター派も教義で身動きがとれなくなっていたといいます。プロテスタント内部でも正統主義と敬虔主義の対立が目立ち、バッハもその中に巻き込まれていきます。

ちょうどそのころ啓蒙主義も盛り上がりをみせ、教会音楽の存在が危ぶまれる時代へ突入していきました。しかし、バッハは最後まで自分の信条を貫き通してこの世を去ります。

バッハにとって音楽とは、人をより神に近づけるもの。信心深い音楽のあるところ、神はいつも慈悲深くそばにおられる。そういった整えられた音楽を追求していたという。

バッハにとって、音楽の究極的な目的は、神の栄光と魂の浄化に他ならない。

今一度バッハが曲を付けたカンターターのテキストを読むならば、「信じる」という言葉が言わばあらゆるカンタータの一種の鍵となる概念になっていることに気付く。

ヘレーネ・ヴェアテマン 『神には栄光人の心に喜び』 日本キリスト教団出版 p64

バッハは楽譜の最初に「JJ」と書いて始め、完成した楽譜の最後に「SDG」と記す習慣があった。(作曲伝統)
JJとは”Jesu Juva“「イエスよ、我を救いたまえ」
SDGとは”Soli Deo Gloria“「神のみに栄光あれ」

バッハの音楽は王侯貴族を楽しませるだけの音楽とは一線を画すところがあるように思います。それは神への信仰が強く深く織り込まれていたのではないか。であるからこそ、バッハの死後、100年間忘れ去られたとしても、人々を引き付けるものがあったのではないかと思います。

ダンバーの視点をもう一度振り返れば、集団社会の結束を求めた私たち人類において、このような教会カンタータしいては宗教音楽は、原点にして頂点というように感じます。

BWV 106 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit
神の時こそいと良き時

ゾナティーネ

リコーダー

Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit.
In ihm leben, weben und sind wir, solange er will.

神の時は最良の時。
神のもとで私たちは生き、動き、存在します(『使徒言行録』第17章28節)

Ach, Herr, lehre uns bedenken,
daß wir sterben müssen,
auf daß wir klug werden.

ああ、主よ、私たちによく考えることを教えてください、
誰もが死ななければならないということを。
それによって、私たちが思慮深くなるように。(『詩編』第90章12節)

Bestelle dein Haus; denn du wirst sterben und nicht lebendig bleiben!

あなたの家を整えなさい、
あなたは死んで、生き続けないのだから!(『イザヤ書』第38章1節)

Es ist der alte Bund:
Mensch, du mußst sterben! 
Ja, komm, Herr Jesu!

これは古くからの定めです
「人よ、汝 死すべし!」(『集会の書』第14章17節)
そうです、来てください、主 イエスよ、きてください!(『ヨハネによる黙示録』第20章20節)

In deine Hände befehl ich meinen Geist; du hast mich erlöset, Herr, du getreuer Gott.

あなたの手に私は自分の霊をゆだねます。
あなたは私と救ってくれました、主よ、誠実な神よ。(『詩編』第31章6節)

Heute wirst du mit mir im Paradies sein.

今日、あなたは私と共に楽園にいる。(『ルカによる福音書』第23章43節)

Mit Fried und Freud ich fahr dahin
In Gottes Willen,
Getrost ist mir mein Herz und Sinn,
Sanft und stille.
Wie Gott mir verheißen hat:
Der Tod ist mein Schlaf worden. 

安らぎと喜びと共に私は逝きます
神の思うとおりに。
私の心と思いは慰められ、
穏やかに静まっています。
神が私に約束してくれたように、
死は私の眠りとなりました。
(マルティン・ルター作のコラール)

Glorie, Lob, Ehr und Herrlichkeit
Sei dir, Gott Vater und Sohn bereit´,
Dem Heilgen Geist mit Namen!
Die göttlich Kraft
Mach uns sieghaft
Durch Jesum Christum, Amen.

栄光と、賛美と、誉れと、輝きが
あなたに、神なる父と子にもたらされますように、
精霊に、神の名と共に!
神々しい力が
私たちに勝利をもたらしますように
イエス・キリストを通して。アーメン。
(アダム・ロイスナー作のコラール)

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