おすすめは何か?文庫?漫画?映画?ミュージカル?
おすすめは何か?
私の結論から申しますと、映画をおすすめします。(6時間の作品)
■ざっくりストーリーが分かる「映画」をおすすめいたします。(6時間作品)
レ・ミゼラブルには分厚い本の他に、漫画や映画、ミュージカルで公演されるなど大変人気のある作品ですね。そこでどれを手に取ってみればいいか迷ってしまうかもしれません。しかし、原作に触れるにはすこし分厚い本になってしまいます。
普段読書に慣れ親しんでいない方ですとハードルが高いかもしれません。全巻合わせて1500ページくらいになりますから。時間がある方はもちろん原作がおすすめです。しかし、時間に余裕がない場合には、漫画や映画、ミュージカル作品が身近にあります。
個人的には原作をおすすめいたしますが、これまた作りが独特で、ストーリーの間に歴史的な描写が差し込まれており、それがかえって読者を挫折させてしまうところでもあるようです。ストーリーがストレートに進んでいかない小説なのです。
そこで次にお勧めなのが、映画かなと思っています。
少しややこしいのはミュージカル映画?というものもあり複雑な事情があります。ミュージカルが大成功を収めてから、それにあやかった映画も登場しており、「レ・ミゼラブル」というタイトルで検索すると何本も出てきてしまいます。(ミュージカル映画?)
おすすめの映画
■どの映画がおすすめなのか?
ここでおすすめして紹介している映画は、2004年にNHKで4夜連続放送された作品になります。2000年にフランスでTV放送されたものが、吹替で2004年に日本で放送されておりました。こちらは原作通りというわけではありませんが、全話360分に及ぶ作品で、しっかりした作りの映画&ドラマとなっていると思います。原作1500ページが隈なく詰め込まれているわけではありませんが、6時間の映画にコンパクトに詰まっているといっていいでしょう。それだけストーリーは長大です。しかし一見の価値ありです。
今回はそんな映画のお話になります。
おすすめする映画がこちら。
監督:ジョゼ・ダヤン
出演:ジェラール・ドパルデュー、ジョン・マルコヴィッチ
レ・ミゼラブルとの出会い
私がユゴーのレ・ミゼラブルに出会ったのは学生時代のちょうど2004年です。岩波文庫で出ていましたが文字が小さく読みにくいなと思い、潮出版社から出ている単行本のユゴー文学館を奮発して購入した記憶があります。本一冊で定価5000円は学生時代の当時はとても高かった!(卒業までに読んでおくべき本というプリントを渡されて、そのリストの中にあったレ・ミゼラブル。しかたなく手に取ったのがはじまりでした)
でも今でもずっと大切な本です。2004年にNHKで4夜連続放送していたのを見ていた人は多いのではないでしょうか。当時は私はビデオテープで録画していました(笑)
その後数十年してミュージカルで上演され、有名になりましたが、ちょっと待ってください!
ミュージカルの前に、TVシリーズ完全版を見て欲しいし、さらに言うならば、原作の本を読んでほしい!
西欧キリスト教社会
再び映画を見てみると、当時見えていなかったところが見えるようになった気がします。よりキリスト教的な要素を感じ取れるようになったといいますか。小説ではミリエル司教のお話から始まりますし、映画でも始まりにミリエル司教と出会うくらいに、キリスト教的要素が見られます。単に文化的な演出ではなく、話の最後まで貫くストーリーの中核を担っていると考えられる程です。
ヴィクトル・ユーゴーは何を見ていたのか。何を込めて描いたのか。小説ではフランス革命の只中を舞台に設定しておりますが、ユーゴーが生きていた時代はその少し後になります。ユーゴーは政治家でもあったので少し時代背景を書いておきます。
ユーゴーが生きていた政治背景としましては、ナポレオン第一帝政の軍事独裁政権→ナポレオン第二帝政の大統領制→ナポレオン三世の独裁を目指したクーデター失敗→フランス共和制(議院内閣制)。ユーゴーは第二帝政時代に議員になっており、議員に選出されるときは保守派(王党派)であったが、後に共和派へ変わってゆきます。ナポレオン三世のクーデターで共和派は弾圧、ユーゴーも弾圧対象となり、亡命生活を余儀なくされています。
『レ・ミゼラブル」はこの亡命生活の中で書かれた作品です。
何を伝えている作品なのか?
言語化がむずかしいけれども、私なりに思うところは精神科医スコット・ペックさんの以下の言葉です。
博愛とか人道主義とかいう言葉がありますが、あまりにも簡単すぎるように思います。たまに自らのことを博愛主義者とか人道主義者とかいいますが、そう語っている人を私は疑いの目で見てしまいます。小説の主人公:ジャン・バルシャンの姿をみてもわかるようにそのような道は狭く険しいものだろうと想像できます。
医学としての精神医学からだいぶ離れた内容であるにも関わらず、精神科医であるスコット・ペックさんが語っているという点が感慨深いなと思います。
精神科医のモーガン・スコット・ペック『The Road Less Traveled』住く人の少ない道:から引用したいと思います。
精神的成長が労の多い困難な過程であることは、何度も強調した。これはそれが自然の抵抗、物事をあるがままに保ち、ことを行うのに古い地図古いやり方に固執し、易きにつく自然な傾向に逆らっているからである。われわれの精神生活に働くエントロピーの力、この自然な抵抗、精神生活に働くエントロピーの力について、さらに手短かに述べなければならない。身体的進化の場合と同じく、この抵抗が克服されるのが奇跡なのである。われわれは成長する。そのプロセスに抵抗するすべてに逆らい、われわれはよりよい人間になる。みんなというわけではない。やさしくもない。しかしかなりの人が、何とか自分自身とその教養とを高めてゆく。どういうわけかより困難な道を選び、われわれを生まれ落ちた泥沼から這いあがるよう、促す力があるのである。
精神的進化のこの図式が個々人の存在にあてはまる。各人には成長へのおのずからの促しがある。この促しを働かして独力で自らの自然の力と戦わねばならない。この図式は人類一般にもあてはまる。われわれが個人として進化するにつれて、社会の進化が促される。子ども時代にわれわれを育ててくれた文化は、成人したわれわれのリーダーシップによって育てられる。成長をなしとげた者はその果実を楽しむだけでなく、世界に同じ果実をもたらす。個人として進化することで、われわれは人間性を担う。そして人間性が進化するのである。・・・
それにしても、個人としてかつ種としてのわれわれに、内なる無気力という自然な抵抗に逆らって成長することを促す、この力は何なのか。すでに名はつけてある。それが愛である。愛は「自分自身と他者の精神的成長を養うため、おのれを広げようとする意思」として定義されてきた。われわれが成長するのはそのために努力するからであり、努力するのは自分を愛するからである。われわれが自分を向上させるのは愛によってである。他者が向上するのを助けるのは、他者を愛することを通してである。愛すること、おのれを広げてゆくことこそ、進化の行為である。それはまさに進みつつある進化なのである。あらゆる生命体に存在する進化の力は、人間においては愛として顕れる。人間の本性のなかで、愛はエントロピーの自然な法則にあらがう奇跡の力なのである。
『愛すること、生きること』スコット・ペック 創元社 「恩寵」 p283
単純にキリスト教的な博愛とか仏教などの慈悲という言葉で片づけてしまうと、地に足がついていないような浮遊感がただよってしまう気がします。精神科医の先生が語る「愛」はすこし重みが違うなと。頑張って言葉をひねり出す試み、そういった「共に」「知る」こと目指す良心(conscientia)の力を信じたいと思います。
人間的可能性をもつひとりの人への無条件の肯定的な眼差し。共に精神的成長にあり、共に未来へ歩む仲間を信じる心。御心に適う人にあれ。
ただキリスト教といっても一枚岩ではないのもまた複雑です。『レ・ミゼラブル』はカトリック教会の禁書リストに入っておりました。上記のスコットペックさんの書籍にも「恩寵」という章がありますが、ユゴーの時代ではすぐに異端とされてしまうだろう発言があります。しかし、少々込み入った話になりそうなのでここまでにしたいと思います。
ルカによる福音書 2章14節
バッハ カンタータ BWV 191
Gloria in excelsis Deo.
Et in terra pax
hominibus bonae voluntatis.いと高きところには、栄光、神にあれ。
地には平和、
御心に適う人にあれ。ルカによる福音書2章14節

「神は愛です。愛の内にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」ヨハネ 第一の手紙4・16
ミリエル司教の燭台とその蝋燭の光は今も人々を照らしていることでしょう。
哲学堂書店 浦山幹生
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