語源から哲学がわかる事典

山口 裕之 著
日本実業出版社

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◆哲学が難解なのは哲学用語(翻訳漢語)の難しさにあります。理性・悟性・感性、存在・本質・実体・実在、主観・客観、表象・抽象、観念……。
これらのうち、たとえば定番の「理性」は英語ではどういう語を当てているかというと、「reason」という日本の中学1年レベルの英単語なのです。
これは英語のネイティブにとっては小学校低学年の日常語。「理由を付けて考える能力」という意味です。また、「理性」よりより難解に見える「悟性」は 「understanding」。
これまた「理解力」という意味の普通の言葉なのです。ちなみに、存在・本質・実体・実在は、英語ではそれぞれ、being、essence、substance、existenceとなる。

◆“脱亜入欧”の思潮のもと、明治の先人たちは“和魂洋才”(技術は学ぶが、精神を学ばない)にかまけていたのではなく、哲学のような魂、
精神についても必死で吸収しようとしていました。その結果として哲学の用語についても懸命に日本語(漢字)に翻訳しようとしていたのです。
哲学用語はその性質上、抽象概念を説明する語であり、漢語での翻訳とも相まっておそろしく難解な語となったという経緯があります。
その訳語には、仏教や儒教の考えを援用した部分もあったため、わたしたち日本語の話者・読者が日常では使わないような難解な漢字が当てられたこともあるでしょう。

◆本書では、この点に着目し、114の基本的な哲学用語の語源にさかのぼって、意味の推移、翻訳、文脈などを解説しています。
「用語」からスタートして、「概念(哲学の中身)」、さらに「哲学史」の三位一体で理解できる本邦初の哲学入門です。
本書で西洋哲学の全体像とそれが何を問おうとしたのかがつかめるようになっています。
また、一念発起、哲学書の原典(翻訳書)を手に取ってはみたが、まるでチンプンカンプン、いろいろな入門書を読んでみてもなかなか要領を得ないという読者にも、
初めて哲学書を読める・わかるきっかけとなるものを目指しています。哲学書を読む際の必携書となるように、巻末には解説付きの索引を設けました。(引用)

◆目次
序 章 この本にはどんなことが書いてあるか
第1章 哲学: Philosophy 知を愛さずにはいられない
第2章 認識: Knowledge 「人それぞれ」ではありません
第3章 存在論: Ontology 「~がある」と「~である」のせめぎあい
第4章 神学: Theology 哲学のご主人様は神様
第5章 認識論: Epistemology 「私」は神様
第6章 哲学する: Philosophize 「自分で考えることが大切」という意味ではない

蔵書家 江戸篇 メモ

西欧において神聖ローマ帝国 マインツでヨハネス・グーテンベルクが発明した活版印刷は、1450年~1490年の40年の間に現ドイツ・フランス・イタリア・イングランド・ポーランド・ホベミアにいたるまで、200の都市に配置され普及したといわれています。しかしほどなくして、印刷技術は驚くべき速さで広まりましたが、市場はすぐさま飽和状態に陥り、印刷事業に乗り出した人々の大半が廃業を余儀なくされたそうです。

実際、グーテンベルク自身も似た事態に陥り、印刷事業の舞台から姿を消しています。グーテンベルクは活版印刷技術の発明者とも活版印刷で初めて聖書を印刷した人物と紹介されますが、その聖書の印刷に伴い膨大な資金が必要となりヨハン・スフトという出資者の協力が必要になりました。しかし後々初期費用の回収に時間がかかり出資者スフトから訴訟を起こされ、グーテンベルクは自身の印刷工房を手放す羽目に陥ってしまったと言われます。

日本においても事情は似ているようで、世界最古の印刷物と呼ばれたりする『百万塔 陀羅尼』は、770年頃に印刷が行われておりますが、仏教寺院に配布する以外に需要がなく、当時の印刷技術がこの後も普及した記録がありません。出版が商業化し読書の大衆化が始まったのは、江戸の大都市が出現する江戸時代まで待たねばなりませんでした。

この時代より蔵書家とよばれるような人々が登場してくるようになります。

 

以下に江戸の蔵書家ランキングを記して起きます(仮定)

 

1.守村次郎兵衛(もりむらじろべえ)  浅草蔵前 札差で俳人・画家 和漢の蔵書10万巻 号:十万巻楼

2.阿波国徳島藩の第11代藩主 蜂須賀 治昭(はちすか はるあき) 和漢の蔵書6万巻

3.塙 保己一(はなわ ほきいち)国学者 蔵書皇朝学の書物6万巻計り

4.屋代 弘賢(やしろ ひろかた) 江戸幕府御家人 上野不忍池のほとりに蔵書5万巻 号:不忍文庫

5.小山田与清(おやまだ ともきよ) 江戸時代後期の国学者 蔵書5万巻

6.朽木(くつき)詳細不明 西久保に住んでいた 旗下の士 兵庫(つわものぐら)の蔵書3万巻余り

7.岸本 由豆流(きしもと ゆずる) 江戸時代後期の国学者 蔵書3万巻

8.古賀 侗庵(こが どうあん) 江戸時代後期の漢学者 蔵書1万巻余り 号:万巻楼

9.狩谷 棭斎(かりや えきさい) 江戸時代後期の考証学者

10.伴信友(ばんのぶとも) 江戸後期の国学者

その他. 江戸で最も本が多く所蔵されていたところ:昌平坂学問所(神田湯島に設立された江戸幕府直轄の教学機関:湯島聖堂)


新刊書の宣伝

『日本における書籍蒐蔵の歴史』

川瀬 一馬 著
吉川弘文館

2019年7月15日 発売予定

 

中世の金沢文庫に始まり、豊臣秀次・徳川家康・近世大名や文人の収書、近代の安田文庫や好事家の収集と現代に到るその蔵書の歴史をたどる。多くのコレクションにかかわった、書誌学の第一人者による日本文化史の試み。

目次
第一部

(はじめに/金沢文庫の和漢典籍蒐集/金沢文庫散佚/関白秀次の典籍蒐集と金沢文庫/徳川家康の蒐集(駿河御文庫) 附徳川義直(尾張敬公)の蒐書/水戸光圀と前田綱紀の蒐書/脇坂安元と松平忠房の蒐書/江戸初・中期の蔵書家/江戸時代後半個人の蔵書/江戸時代後半諸侯の蔵書)

第二部

(旧安田文庫のことなど/明治時代前半の蒐書/明治三十年頃の学儒・好事家の蒐書)/附録(徳富蘇峰旧蔵『成簣堂文庫善本書目』の序文/西荘文庫旧蔵善本附記/安田文庫購入西荘善本評価書目/高木文庫譲受けの分)/掲載写真一覧/わが国における書籍蒐蔵の歴史*講義概要/川瀬一馬先生の〈幻の金沢文庫論〉…岡崎久司/索引(人名、文庫・書店名、文献名)

物質と記憶

講談社学術文庫
アンリ・ベルクソン 著
杉山 直樹 訳
講談社
2019年5月11日 発売中

※試し読みはこちらから

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フランスを代表する哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941年)が残した主著の一つである『物質と記憶』(1896年)については、すでに7種もの日本語訳が作られてきた。そのすべてを凌駕するべく、第一級の研究者が満を持して新たに訳出した本書は、簡にして要を得た「訳者解説」と相俟って、日本語でベルクソン哲学の真髄を伝える、文字どおりの「決定版」である。今後、本書を手にせずしてベルクソンは語れない。(引用)

目次
第七版の序
第一章 表象化のためのイマージュの選別について──身体の役割
第二章 イマージュの再認について──記憶力と脳
第三章 イマージュの残存について──記憶力と精神
第四章 イマージュの限定と固定について──知覚と物質。魂と身体
要約と結論
初版の序
訳者解説

現代思想 2019年5月号 特集=教育は変わるのか


三省堂書店神保町本店「青土社50周年フェア」開催中!

歴代の売上ベスト作品から今年の話題書まで幅広く取り揃えております。

一押しロングセラー・著者サイン本・稀少本も見つかる!

「青土社50周年フェア」みなさまのお越しをお待ちしております。

詳しくは 青土社50周年フェア 特設サイトをご覧ください!


部活動問題・給特法・大学入学共通テスト
大内裕和、内田良、岡崎勝、佐々木賢 著
青土社
2019年4月27日 発売中

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「ブラック部活動」は社会問題として可視化され、その問題の解決のために議論が重ねられている。また、入試現場でも激変が起こりつつある。センター試験廃止に伴い、「大学入学共通テスト」が導入される。このテストの導入は、国語と英語教育の未来にも大きく影響を及ぼすであろう。小誌で定点的に取り上げている教育諸問題を、最前線、かつ様々な角度から論じていく。(引用)

目次
麻痺する教育現場から問い直す:内田良+大内裕和+岡崎勝
「ブラック部活」を乗り越えて:中澤篤史
教員の長時間労働解消の展望を考える:藤川伸治
教師の定額働かせ放題=「給特法」問題はいかにして広まったか:斉藤ひでみ
教員が我が事を語る言葉を取り返すために――教員の「働き方」改革を問い直す:赤田圭亮
「呪いの言葉」を解くための対抗的キャリア教育:上西充子
「国語」改革における多様性の排除――教材アンソロジーの意義:紅野謙介
高校国語科の曲がり角――新学習指導要領の能力伸張主義、実社会、移民時代の文化ナショナリズム:日比嘉高
英語教育の「市場化」に未来はあるか?:江利川春雄
読解力が危機だ!」論が迷走するのはなぜか?――「読めていない」の真相をさぐる:阿部公彦
未来は誰のものか?――新しい「国語科」の理念と現実:五味渕典嗣
格差と差別をなくすには?:佐々木賢
社会と向き合うことを教えてくれた予備校文化論:小林哲夫
殻に包まれて――アゴラ子ども美術工場の試み:渋垂秀夫
生=痛みを分有するためのわたしたちの生涯学習社会に向けて:冨永貴公
文理の境界とジェンダーの未来:隠岐さや香
ヤングケアラーから問う教育の未来――言語化しづらい「ケア」を可視化し、支援するということ:澁谷智子

ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考

シリーズ世界の思想
古田徹也 著
角川選書
2019年4月26日 発売中

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哲学の問題すべてを一挙に解決するという、哲学史上最高度に野心的な試み『論理哲学論考』。刊行後、この書が世界の諸学や文化に与えた影響は極めて大きい。ビギナーに向けて、『論考』全体を理解するために必要な本文の抜粋に加え、わかりやすい例示をふんだんに用いながら、この難解なテキストをこれ以上ないほど明快に、論理的に、丁寧に解説。現代哲学を代表する記念碑的著作、その核心を解き明かす画期的な入門書。(引用)

目次
人と作品
『論理哲学論考』
§0 『論理哲学論考』の目的と構成
§1 事実の総体としての世界、可能性の総体としての論理空間
§2 事実と事態、事態と物(対象)
§3 不変のものとしての対象、移ろうものとしての対象の配列
§4 現実と事実
§5 像と写像形式
§6 像とア・プリオリ性
§7 思考と像、像と論理空間
§8 命題と語
§9 名と要素命題
§10 解明と定義
§11 シンボル(表現)と関数
§12 日常言語(自然言語)と人工言語
§13 個別性の軽視、個別性の可能性の重視
§14 言語の全体論的構造節
§15 「言語批判」としての哲学
§16 命題の意味の確定性と、命題の無限の産出可能性
§17 『論考』の根本思想
§18 否定と否定される命題の関係
§19 哲学と科学
§20 要素命題とその両立可能性(相互独立性)
§21 真理表としての命題
§22 トートロジーと矛盾
§23 命題の一般形式1
§24 推論的関係と因果的関係
§25 操作、その基底と結果
§26 操作の定義
§27 世界のあり方と、世界があること
§28 独我論と哲学的自我
§29 命題の一般形式2
§30 論理学の命題および証明の本質
§31 説明の終端
§32 意志と世界
§33 永遠の相の下に
§34 投げ棄てるべき梯子としての『論考』
§35 『論考』序文
コラム1 記号論理学
コラム2 倫理学講話
文献案内
用語の対照表

倫理の起源

小浜 逸郎 著
ポット出版プラス
2019年4月20日 発売中

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「善」とは何か?
私たちは、ふつう、「道徳」あるいは「善」という理念のようなものがどこかに存在して、それに依拠してみずから生活の秩序を組み立てていると考え、また日々そのように振る舞っている。しかし、では、その「道徳」あるいは「善」とは、どんな姿をとっており、それがいかなる理由によって根拠づけられるのか。プラトン、カント、ニーチェ、J・S・ミル、和辻哲郎を超え、「倫理問題」の拠ってきたるところと、それが含む厄介さについて、徹底的に明らかにする。(引用)

目次

第Ⅰ部 道徳はどのように立ち上がるか
第一章 良心の発生
第二章 善とは何か

第Ⅱ部 西洋倫理学批判
第三章 プラトンの詐術
第四章 イデアという倒錯
第五章 カントの道徳原理主義
第六章 ニーチェの道徳批判
第七章 J・S・ミルの功利主義

第Ⅲ部 人倫がもつ矛盾をどう克服するか
第八章 和辻哲郎の共同体主義
第九章 人間関係の基本モード(1)性愛・友情・家族
第十章 人間関係の基本モード(2)職業・個体生命・公共性

 

著者ブログ「ことばの闘い」
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo

技術とは何だろうか 三つの講演

マルティン・ハイデガー 著
森 一郎 訳
講談社学術文庫
3月12日 発売

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20世紀最大の哲学者マルティン・ハイデガーが第二次大戦後に行った「技術」をめぐる三つの講演。瓶(かめ)や橋、家屋といった身近な物から出発し、それらの物がどのようなあり方をしているのかを考え、ついには「世界」に到達する講演「物」と「建てること、住むこと、考えること」、そしてモノとヒトを資源として用いながら膨張を続ける現代技術のシステムを問う「技術とは何だろうか」。(引用)

目次


建てること、住むこと、考えること
技術とは何だろうか
編訳者あとがき

音楽の哲学入門

セオドア・グレイシック 著
源河 亨、木下 頌子 訳
慶應義塾大学出版会
2019年3月7日 発売

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目次
第1章 耳に触れる以上のもの――音楽と芸術
1 鳥の歌
2 音楽であるもの/音楽的なもの
3 「芸術」に関して
4 音楽と文化
5 美的側面
6 文化、コミュニケーション、スタイル

第2章 言葉とともに/言葉なしに――理解して聴く
1 教養なき知覚
2 純粋主義
3 言語と思考の交わり
4 命題知と技能知
5 音楽の四つの側面
6 歴史、スタイル、美的性質
7 芸術としての音楽、再考

第3章 音楽と情動
1 しるしとシンボル
2 表出と表出的性格
3 ウタツグミ
4 喚起説
5 カルリの悲嘆、アメリカのジャズ、ヒンドゥスターニー・ラサ

第4章 超越へといざなうセイレーンの声
1 実在の語りえなさ
2 美から崇高へ
3 ショーペンハウアーの音楽観
4 崇高さは主観的なものか
5 崇高さの経験
6 例示

啓発された自己愛

啓蒙主義とバルベラックの道徳思想
門 亜樹子 著
京都大学学術出版会
2019年2月28日 発売

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18世紀啓蒙時代――グロティウス、プーフェンドルフの著作の仏訳によって後世に名を残した思想家ジャン・バルベラック(Jean Barbeyrac, 1674―1744)。彼はただ思想を媒介しただけではない。教会の「抑圧されたキリスト教的人間像」に真っ向から対峙し、人間理性の自由と自己の肯定を謳ったその独自の思想は、プーフェンドルフの著書に付した長い序文『道徳哲学史』に見られ、後世のスコットランド学派につながる。紹介者としての一面のみで捉えられこれまで表舞台に現れてこなかった彼の思想を、キリスト教思想の観点から浮き彫りにする未知の試み。(引用)

序章 キリスト教的人間像の変遷と道徳哲学
Ⅰ バルベラックとその時代――自然法学とスコットランド啓蒙
Ⅱ バルベラックはどう読まれてきたか
Ⅲ 本書の視点
1 啓蒙主義と「啓発された自己愛」
2 ティロットスンからアバディーン啓蒙へ――道徳哲学と「明証性の理論」
3 哲学史 ――コモンセンス哲学のフランスへの伝播

第1章 バルベラック『道徳哲学史』と自然法学
Ⅰ はじめに ――スコットランド啓蒙思想とバルベラック
Ⅱ バルベラックと『道徳哲学史
1 バルベラックの生涯と著作
2 『道徳哲学史』の紹介
Ⅲ 『道徳哲学史』における教父批判――教会史および哲学史との比較
1 『道徳哲学史』と教会史
2 『道徳哲学史』と哲学史
3 『道徳哲学史』と『自然法史』
4 聖職者批判と福音道徳
(1) 聖職者批判
(2) 福音道徳と三義務論
Ⅳ 『道徳哲学史』と『娯楽論』
Ⅴ おわりに

第2章 バルベラック『娯楽論』研究序説――福音道徳と理性
Ⅰ はじめに
Ⅱ 「善悪無記の事物」としての娯楽
1 バルベラックの娯楽観
2 労働と娯楽
3 使用と誤用の区別
4 聖書における娯楽
Ⅲ 福音道徳と理性
Ⅳ 節制・正義・信仰心の義務
Ⅴ 節制と欲望
Ⅵ 自己評価と「キリスト教の謙遜」
Ⅶ 自己評価論とキリスト教的人間像
1 ロックにおける「世論ないし世評の法」
2 ニコルとバルベラックの自己評価論
Ⅷ おわりに――「真のキリスト教徒」と『娯楽論』

第3章 バルベラックの「啓発された自己愛」
Ⅰ はじめに
Ⅱ プーフェンドルフの自然状態論
1 ホッブズへの反論
2 スピノザへの反論
3 自然状態における「正しい理性」
Ⅲ 「正しい理性」と「啓発された自己愛」
1 自然法と「正しい理性」
2 社交性と「啓発された自己愛」
Ⅳ 「自己への義務」と「啓発された自己愛」
Ⅴ おわりに ――バルベラックとニコルの自己愛概念

第4章 ティロットスンのキリスト教的人間像(感覚・理性・信仰)――バルベラックの思想との関連性をめぐって
Ⅰ はじめに
Ⅱ バルベラックのキリスト教的人間像
1 洗練可能な人間本性
2 理性への信頼――懐疑論批判
Ⅲ ティロットスンのキリスト教的人間像――感覚・理性・信仰
1 神からの賜物としての感覚と理性
2 感覚と信仰
(1) 感覚の確実性――実体変化批判をめぐって
(2) 実体変化批判の反響
(3) ティロットスンの信仰概念
(4) 聖書における信仰と感覚
3 理性と信仰
(1) 理性の光と信仰の光の一致
(2) 合理的な宗教と教父への評価
4 感覚と理性――ティロットスンとケンブリッジ・プラトニスト
Ⅳ おわりに

第5章 「直観」の哲学史――「道徳科学」と「精神哲学」
Ⅰ はじめに
Ⅱ ビーティとキャンブルの明証論――直観と常識
1 ビーティの道徳哲学体系
2 ビーティの明証論
3 キャンブルの明証論
4 ビーティとキャンブルの明証論の比較
Ⅲ ヒューム批判と直観的原理――キャンブル,ビーティ,リードを中心に
1 ヒュームの奇跡論への批判 ――証言と経験
2 直観的原理と「信じやすさ」
3 ビーティの懐疑論批判
4 リードの観念理論批判
Ⅳ プレヴォとドゥーガルド・ステュアートのカント解釈
1 プレヴォの経歴と著作活動
2 プレヴォの『近代哲学三学派』――カント哲学の紹介
(1) スコットランド学派
(2) フランス学派
(3) ドイツ学派
3 ドゥーガルド・ステュアートのカント解釈――カドワースとの類似性の指摘
Ⅴ おわりに

終章 スコットランド哲学のフランスへの伝播
――ジェランド『哲学体系比較史』をめぐって

付録1 バルベラックの著作目録
付録2 ブッデウス『自然法史』(ジョンスン版)
付録3 ティロットスン著作集と仏訳版における説教の収録順
付録4 ジョゼフ=マリ・ドゥ・ジェランド『哲学体系比較史――人知原理との関連性』

ヤスパース 暗黙の倫理学

〈実存倫理〉から〈理性倫理〉へ
中山剛史 著
晃洋書房
2019年2月23日 発売

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ヤスパース哲学は「倫理学」といえるのか。「倫理学」からは一歩距離を置いていたヤスパース哲学を、実存的な〈訴えかけの倫理〉として浮き彫りにすることにより、そのアクチュアリティーを問い直す試み。ヤスパース倫理思想の新たな相貌に光を当てる。(引用)

目次
はじめに
序論
1. 本書の目的
2. 本書の概要とその位置づけ

第1章 「倫理学」としてのヤスパース哲学
1.ヤスパース哲学は「倫理学」か
(1)ヤスパース哲学における「倫理学」の不在と遍在
(2)「倫理学」という言葉の二義性
(3)「暗黙の倫理学」としてのヤスパース哲学
2.ヤスパースの「倫理学」理解――『世界観の心理学』から『哲学』まで
(1)『世界観の心理学』の場合
(2)「倫理学」についての初期の遺稿
(3)主著『哲学』における「倫理学」の用法
3.「哲学的倫理学」の可能性とその行方
(1)「哲学的倫理学」とは何か
(2)自己存在の実存的自覚と実存的現実の開明
(3)「哲学的倫理学」の行方
4.総括――ヤスパースの「暗黙の倫理学」

第2章 〈実存倫理〉のメルクマール
1.〈実存倫理〉の成立とその位置づけ
(1)〈実存倫理〉という解釈をめぐって
(2)ヤスパースの〈実存倫理〉への道――キルケゴールとニーチェ
(3)ヤスパースにおける「実存」概念の成立
2.「自由」への訴えかけの倫理
(1)自由――ヤスパースの〈実存倫理〉の根本意図
(2)根源的な被贈性にもとづく「実存的自由」
3.実存の無制約性の倫理
(1)実存の「無制約性」とは何か
(2)「限界状況」に面しての無制約性の覚醒
4.実存の歴史性と歴史的一回性
(1)普遍妥当的真理と歴史的真理
(2)「歴史的規定性」の限界状況――〈狭さ〉から〈深さ〉への転換
(3)実存の歴史性の三つの契機
5.「交わり」の倫理
(1)限界状況としての交わり――愛しながらの闘い
(2)「交わり」における実存の倫理
6.総括――実存の「歴史的無制約性」の倫理

第3章 〈実存倫理〉と〈普遍倫理〉の両極的弁証法
1.ヤスパースのカント倫理学解釈
(1)カントの〈普遍倫理〉とヤスパースの〈実存倫理〉
(2)『世界観の心理学』における「普遍妥当性」の両義性
(3)〈格率の普遍化可能性〉の問題
(4)ヤスパースからみたカント倫理学の限界点
2.『実存開明』における「法則」と「実存」の緊張関係
(1)「法則としての自由」と「実存的自由」
(2)法則と実存との一致――法則のパトス
(3)無制約性の解釈形式としての「法則」
3.客観的当為と実存的当為の両極的弁証法
(1)『実存開明』における「当為」の概念規定
(2)客観的当為の実存的なわがもの化
(3)客観的当為の実存的突破――「例外者」の倫理
4.総括――〈普遍倫理〉から〈実存倫理〉への実存倫理的転回
(1)法則の普遍妥当性から〈歴史的一回性における永遠性〉へ
(2)〈法則倫理〉から〈交わりの倫理〉へ

第4章 〈実存倫理〉から〈理性倫理〉へ
1.〈実存倫理〉の陥穽と「理性」の必要性
(1)実存の無制約性と「狂信的な真理のパトス」
(2)「交わり」という契機
(3)「理性」という契機
2.後期ヤスパースにおける「理性」の根本特徴
(1)ドグマや固定化を突き破る「限りない開放性」
(2)あらゆる根源と真理をあらわにする開示化の運動
(3)あらゆる包括者の諸様態を結びつける「紐帯」
(4)「普汎的な共生」を希求する「全面的な交わりへの意志」
(5)総括――突破と結合を希求する開かれた根本態度
3.〈実存倫理〉と〈理性倫理〉の関係――相即性と両極性
(1)〈理性倫理〉という解釈の妥当性
(2)「実存」と「理性」の相即性と両極性
(3)「実存的交わり」と「理性的交わり」の関係
4.〈実存倫理〉から〈理性倫理〉への展開
(1)「善悪」論文における〈理性倫理〉への注目
(2)『反理性』および政治論における〈理性倫理〉への移行
(3)「理性」のモチーフの出現の必然性
5.〈理性倫理〉への転換としての「回心」
(1)『反理性』における「理性」への実存的決意――「誠実性」のエートスへの転換
(2)〈実存倫理〉と〈理性倫理〉との連結点としての「回心」のモチーフ
6. 総括――〈実存倫理〉から〈理性倫理〉へ

第5章  補論――包括者論と哲学的倫理学
1.包括者論の根本意図――その倫理的・実践的意義
(1)「包括者」の思想と「哲学的根本操作」
(2)「一なる包括者」と「包括者の諸様態」
(3)「包括者の諸様態」論の意図――「神が語りうる空間」を確保する
(4)「存在意識の変革」としての包括者論――〈広さ〉と〈深さ〉への変革
2.包括者論における真理と倫理の多次元性
(1)「包括者の諸様態」における真理の諸様態
(2)「包括者の諸様態」における倫理の諸様態
(3)「包括者の諸様態」における〈実存倫理〉と〈理性倫理〉の位置づけ
3.総括――包括的な「哲学的倫理学」の再構築の可能性

結論

あとがき
参考文献