復活や輪廻を説くのは何故か
キリスト教徒ではない私や読者の皆様は、この復活の物語を「まさかぁ~」とビックリすることと思います。世界三大宗教を見てみますと、キリスト教・イスラム教は神の力により死んだ後に復活します。仏教は肉体から離れる霊魂のようなものを想定しますが、それは変容しながら次の世界へ輪廻を繰り返し、苦悩と迷いの旅を続けていると説いています。この輪廻から抜け出すこと、解脱の方法を説くのが仏教です。共通して死後の世界は完全な「無」ではない特徴があります。
宗教の一つの特徴をひとつ述べよと言われれば、人間の死を単なる終わりではなく、別の世界への移行や、永遠の生命への始まりと捉えることで、人類は「死への恐怖」を緩和しようとした歴史が見てとれると言えましょう。
BWV 6 「われらと共に留まりください」 Bleib bei uns, denn es will Abend werden
この曲は、イエス・キリストが十字架にかけられて死亡した後、三日目にして復活し、イエスは夕暮れ時にエマオという村の方向に向かって歩いていた。同じくして二人の男たちが同じ方向に向かって、こそこそ話ながら歩いていた。後ろから歩いてきたイエスは通りすぎ際にこの二人の男に声をかける。「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と。そういった場面からお話がはじまります。
「ルカによる福音書」第24章13節~35節
エマオで現れる
13ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、 14この一切の出来事について話し合っていた。 15話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。 16しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。 17イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。 18その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」 19イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。 20それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。 21わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。 22ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、 23遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。 24仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」 25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、 26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
28一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。 29二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 30一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 31すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 32二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 33そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、 34本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。 35二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。新共同訳聖書 「ルカによる福音書」第24章13節~35節

キリスト教 復活の物語
キリスト教にとって受難と復活は不可分な物語として理解されています。ちょっと大雑把に語りますが、イエスは受難として民衆に裏切られ、イエスを「十字架につけろ」と叫ぶ民衆の意志により十字架にかけられるわけです。メシアたる神のなんらかの務めをしていたイエスは、弟子含め民衆の意志により処刑される痛ましい受難を受ける。旧約聖書を読んでいると、このようなわからずやの民族はまたたくまに神の怒りをかい滅亡させられていたかもしれません。しかし、新約聖書ではそうではなく、罪を犯しても返ってきたのは「ゆるし」だったのです。(旧約聖書と新約聖書を分離するのではなく合わせてこそキリスト教である所以の物語といえるでしょう)
イエスの役割は何であったのか。
イエスは復活をして、弟子たちに会い、当初イエスが話していた「時は満た、神の国は近ちかづいた。悔改ためて福音を信じなさい」(マルコによる福音書 第1章14)の意味を、自らの復活を示して伝えにきていたのでしょう。役割を終えたイエスは昇天し天へ帰っていきます。残された弟子たちが記録として残したのが聖書となって今なお語り継がれてるというわけです。
BWV 6 「われらと共に留まりください」 Bleib bei uns, denn es will Abend werden
BWV 6 Bleib bei uns, denn es will Abend werden は地味な曲かもしれません、華やかな賛美曲というわけでもありません。
1曲目は、たまたま隣を歩いていた人(イエス)に「もう夕暮れだから我が家に留まりくださいと」、教えを実践している弟子の姿ですが、そこには夕暮れから暗闇がやってくる時刻、十字架にかけてしまった我々に裁きがやってくるのではないかという深刻さ・不安の暗示が込められています。冒頭の一曲目からとても深刻な状況を歌っているのがBWV 6番です。
2曲目は、家に招き一緒に夕食を食べようとしたとき、たまたま隣を歩いていたその人がイエスであるとわかった場面でしょう。
5曲目は、「ルカによる福音書」第24章31節「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」とあるように、その人がイエスだと分かったときにはその姿が消えてしまった。そんな残された弟子の懺悔や暗闇・孤独・不安・希望・願い、そんな複雑な心境がとても伝わってくるように思います。
個人的にBWV 6は初めから最後までしっかりまとまっている隠れた名曲の一つだと思っています。
1725年 ライプツィヒ 4月2日 初演
1727年 ライプツィヒ 4月13日
復活祭 第2日目の日曜日のためのカンタータ
歌詞 対訳
Bleib bei uns,
denn es will Abend werden,
und der Tag hat sich geneiget.
「一緒にお泊りください。
そろそろ夕方になりますし、
もう日も傾いていますから」
『ルカによる福音書』第24章29節
Hochgelobter Gottessohn,
Laß es dir nicht sein entgegen,
Daß wir itzt vor deinem Thron
Eine Bitte niederlegen:
Bleib, ach bleibe unser Licht,
Weil die Finsternis einbricht.
大いなる讃えられし神のご子息よ、
どうかお許しください。
御座の前で願いを捧げることを。
とどまってください、ああ、どうかとどまってください私たちの光として、
暗闇がやってくるのですから。
Ach bleib bei uns, Herr Jesu Christ,
Weil es nun Abend worden ist
Dein göttlich Wort, das helle Licht,
Laß ja bei uns auslöschen nicht.
In dieser letztn betrübten Zeit
Verleih uns, Herr, Beständigkeit,
Daß wir dein Wort und Sakrament
Rein bhalten bis an unser End.
ああ、私たちと共にいてください、主イエス・キリストよ、今はもう夕べとなったのですから。
あなたの神の御言葉、あの輝く光を
どうか私たちの中で消さないでください。
この最期の悲しみの時に
主よ、私たちに揺るがぬ心をお与えください。
そしてあなたの御言葉と聖なる秘跡を、
最後の時まで、清らかに守り通せますように。
Es hat die Dunkelheit
An vielen Orten überhand genommen.
Woher ist aber dieses kommen?
Bloß daher, weil sowohl die Kleinen als die Großen
Nicht in Gerechtigkeit
Vor dir, o Gott, gewandelt
Und wider ihre Christenpflicht gehandelt.
Drum hast du auch den Leuchter umgestoßen.
暗闇が多くの地を覆いました。
それはいったい、どこから来たのでしょう?
子どもも大人も、みな正義の道を歩まず、
ああ、神よ、あなたの御前で、
キリスト者としての義務にも背いてきたからです。
それゆえ、あなたは私たちの中から
光を灯すこの燭台をも、打ち倒されたのです。
Jesu, laß uns auf dich sehen,
Daß wir nicht
Auf den Sündenwegen gehen.
Laß das Licht
Deines Worts uns helle scheinen
Und dich jederzeit treu meinen.
主イエスよ、わたしたちの目をあなたに向けるようにしてください、罪の道を歩むことがないように。
あなたのお言葉の光で、
私たちを明るく照らし、そして、いかなるときも、
あなたをまことの心で慕い思い続けられますように。
Beweis dein Macht, Herr Jesu Christ,
Der du Herr aller Herren bist;
Beschirm dein arme Christenheit,
Daß sie dich lob in Ewigkeit.
主イエス・キリストよ、あなたの力をお示しください。
あなたこそ、すべての主の上に立つ主なのですから。
どうか、哀れなキリスト教徒たちを庇護してください、
彼らが永遠にあなたを賛美する者となれますように。
Chat GTP
新装版 『対訳 J.S.バッハ声楽全集』 p18
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