
バッハが生きていた時代、芸術の最先端はフランス・イタリアに集結していたといいます。端的にいいますとフランスは唯我独尊、己の道を突き進む排他的で豪華絢爛な芸術へ、イタリアは宗教改革後、教会の権威が落ち込んでしまい、なんとか芸術でド派手に飾り教会の威厳を取り戻そうと優秀な芸術家を呼び寄せていた時代です。音楽においてもオペラや協奏曲が登場してくるように、バロック時代の先駆けの地となっておりました。
バッハの協奏曲の作曲はヨハン・エルンスト公子(ヨハン・エルンスト3世)による影響が大きかったと思います。自ら作曲もするというヨハン・エルンスト公子、オランダ留学中にイタリアやフランスの音楽に接し、多くの協奏曲などの楽譜を集めて持ち帰って来たといいます。バッハは音楽の指導もしていたようですが、一緒に演奏するほどの仲であり、最先端の協奏曲形式とイタリア音楽を学ぶきっかけとなってのではないでしょうか。エルンスト公子は協奏曲を鍵盤楽器用に編曲をすることをバッハに依頼しています。特にヴィヴァルディから多くの影響を受けているようです。バッハのクラヴィア協奏曲はヴィヴァルディのバイオリン協奏曲の編曲が多く含まれています。
後にケーテン時代にバッハの有名な協奏曲である『ブランデンブルク協奏曲』が生み出されます。ほかにもいくつかのヴァイオリン協奏曲があるようですが原曲は失われてしまっております。
失われたヴァイオリン協奏曲の編曲の一つがチェンバロ協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1053です。
そしてそれをさらにバロックオーボエ協奏曲へ編曲したものがこちらの動画です。ややこしい(笑)
バロックオーボエ とてもまるい音といいましょうか、尖った感じがしないのがとても心地よさを感じます。
ちなみにチェンバロ協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1053は 第一、第二楽章はカンタータ BWV 169に転用されており、第三楽章はBWV 49へ転用されています。
次は『ブランデンブルク協奏曲』なども紹介してみたいと思います。
バッハと言えばなんといっても『受難曲』ですが、それは一番最後になるのではないかと思います。
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