8月 2018Archive

国分寺大古書市 2018年9月5日開催のお知らせ

国分寺大古書市 2018年9月5日開催のお知らせ

2018年9/5(水)~10/3(水)の29日間限定
国分寺大古書市を開催します

全国人気の古書店が大集合。約二万冊、ワゴン54台と大規模開催!
思わぬ希少本やお値打ち品が見つかるかもしれません。

期間中は毎日朝10時から夜21時まで開催中です。

国分寺ミーツ3F イベントスペース(神保町いちのいち前)
※JR中央線、西武国分寺線・多摩湖線「国分寺駅」北口直結 改札徒歩1分

ハイデガーと哲学の可能性

ハイデガーと哲学の可能性

森 一郎 著
2018年8月24日 発売中
法政大学出版局

ハイデガーと哲学の可能性

amazonで見る⇒ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治
紀伊國屋書店で見る⇒ハイデガーと哲学の可能性: 世界・時間・政治

『存在と時間』はどう書き継がれるべきか? ハイデガーの思考に拠りつつ、それを超えて哲学に意味を見出すことはいかにして可能か? 日本のハイデガー研究を牽引する著者が、カント、マルクス、アリストテレスの今日的読み直しも含め、言語、世界、死、時間、技術、労働、政治といった問題群に真正面から切り込んだ全16章の探究。「愉しい学問」の実践!(引用)


凡 例
第I部 自己と世界
第一章 ハイデガーにおける形式的暗示について
一 語り方の問題
二 「解釈学的直観」の生成
三 『存在と時間』における問いの構造とその遂行意味

第二章 死の明証
一 死に関するデモクラシーと、死の管理体制
二 死を飼い馴らすことと、死によって飼い馴らされること
三 死の経験可能性と、死のリアリティー
四 他者の死と、そのひとごとならなさ
五 「我死につつ在る」という語りと、その遂行的明証性

第三章 自発性の回路 『存在と時間』における世界概念の再検討
一 ハイデガーの「世界」概念の問題性
二 「適所を得させること」と「自己を指示しむけること」
三 自発性の回路としての「有意義性」

第四章 感受性と主体 カントの尊敬論から
一 「主体」という問題
二 主体における自己服従の回路
三 感受性と主体-支配と服従の間

第五章 哲学的言説のパフォーマティヴな性格について
一 現象学の方法的アポリア?
二 「ふるまい」としての語り
三 パフォーマンスとしての哲学
四 気分とレトリック

第II部 時間とその有意義性
第六章 配慮される時間 ハイデガーの世界時間論
一 世界と時間
二 世界時間という蝶番
三 世界時間のまったき構造

第七章 時計と時間
一 時間が「客観的」に与えられる現場
二 尺度としての時計
三 〈尺度するモノ〉と〈尺度されるモノ〉
四 尺度における反照規定
五 時計と時間

第八章 時間の有意義性について
一 陳腐な教訓か、時間論の根本問題か
二 時間の有意義性の意味するもの
三 有限性と〈死への存在〉
四 限りある〈いのち〉の限りなさ
五 有限性への抵抗と、時間のエコノミー

第九章 技術と生産 ハイデガーからマルクスへ
一 ハイデガーとマルクス?
二 技術への問い
三 集立と資本
四 時間のテクノロジー
五 テクネーはスコレーのために

第III部 哲学と政治
第十章 哲学の実存 ハイデガーとアリストテレス
一 実存の哲学と哲学の実存
二 理論と実践の対立の起源へ
三 ソフィアかフロネーシスか
四 観照的生と近代

第十一章 ハイデガーにおける学問と政治 『ドイツの大学の自己主張』再読
一 「ハイデガー問題」とは何であったか
二 『ドイツの大学の自己主張』は何を主張しているか
三 「学問の原初的本質」はどこまで原初的か
四 ハイデガー問題からソクラテス問題へ

第十二章 労働のゆくえ 「ハイデガーからアーレントへ」の途上
一 ハイデガーのマルクス論と労働概念
二 勤労奉仕を奨励する学長
三 労働の擬似存在論
四 労働批判としての「総かり立て体制」論
五 労働者はどこへ?

第十三章 出来事から革命へ ハイデガー、ニーチェ、アーレント
一 始まりの思索者たち
二 反時代的な脱現在化から、近代そのものの批判へ
三 大いなる出来事としての哲学革命
四 新しきものへの自由-将来は原初にやどる
五 『出来事について』から『革命について』へ

第IV部 哲学の可能性
第十四章 共‑脱現在化と共‑存在時性 ハイデガー解釈の可能性
一 存在者と存在、物と世界
二 『存在と時間』における存在者論
三 「もとでの存在」の問題点と、脱現在化
四 物の「共‑脱現在化」の働き
五 物は何を語るか-『マルテの手記』の一節から
六 本来性と非本来性との絡み合い-渡邊二郎の解釈
七 『存在と時間』における「共‑存在時性」の問題群
八 「隔世代倫理」へ-原爆ドームを手がかりに
九 「反‑存在時性」の爛熟-3・11以後

第十五章 政治に対する哲学する者たちの応答可能性 ハイデガーの事例を手がかりに
一 ある戦中と戦後の間-『注記』拾い読み
二 準備的考察-責任の所在
三 政治に対する哲学する者たちの応答可能性
四 われわれの政治責任

第十六章 『存在と時間』はどう書き継がれるべきか
一 夢を追い続けて
二 では、どのようにして書き継ぐか
三 「前半」はどう終わっていたか
四 二通りの暫定的結論めいたもの
五 「時間性のある本質上の時熟可能性」
六 歴史性と時間内部性の絡み合い
七 四方界の反照‑遊戯
八 共‑存在時性の問題群

あとがき
初出一覧
人名索引
著作名索引
事項索引

世界の独在論的存在構造

世界の独在論的存在構造

永井 均 著
2018年8月17日 発売中
春秋社

世界の独在論的存在構造

amazonで見る世界の独在論的存在構造: 哲学探究2 (哲学探究 2)

紀伊國屋書店で見る世界の独在論的存在構造: 哲学探究2 (哲学探究 2)

まさにこのありありとある私ただひとつがある。それは端的な私であり、けっして記憶や性格でもなければ、一般的な意識や精神や魂と呼ばれるものでもないのだが、言葉で語ろうとすると簡単にたくさんある私のなかのひとつとなり、一般的な心というもののひとつの個別事例になって、見失われてしまうのだ。
この私という説明不可能な例外的存在者が現に存在してしまっている、という端的な驚きを起点につむぎだされる独創的思索の広大な射程。長い哲学の歴史のなかで見逃されてつづけてきた、しかし根本的な問題を発見し探究しつづける哲学者・永井均の最新の思索は、私・今・現実の不思議を新たにゼロから徹底的に考えぬく。仏教やインド思想の無我・真我を論じる付論を付す。

“私”の存在という問題の真の意味
デカルト的省察―“私”の存在は世界の内容にいかなる影響も与えない
独在性の二つの顔
相対主義とルイス・キャロルのパラドクス
フィヒテの根源的洞察から「一方向性」へ
デカルトの二重の勝利
ものごとの理解の基本形式とそれに反する世界のあり方
自己意識とは何か
いかにして“私”や“今”は世界に埋め込まれうるか
人計から東洋の専制君主へ

哲学プラクティス連絡会のお知らせ

哲学プラクティス連絡会のお知らせ

8月19日 メタ哲学カフェにお邪魔しました。

メタ哲学カフェは哲学カフェや哲学対話の運営に携わっている方々が意見交換をしている会です。

より良い場を作るにはどうすれば良いか、切磋琢磨し試行錯誤を繰り返しながら努めている姿を拝見することができました。運営してみなければわからない問題点などたくさん知ることができ勉強になります。

 

実は会の出席のだいぶ前に、メタ哲学カフェ代表にアポイントを取ることができたので、直接お話させていただいたのですが、まだそのときは対話を通して何をなそうとしているのかあまり理解が及ばなかったところがありました。しかし、実践をされている方々のお話を聞いていく中で、大切な点に気づかされた気がします。人がときに早急に答えを見つけようとしたり、または知ろうとする、そういった知的欲求は良い面もあるわけですけれども、反面その行為にあったであろう[楽しさ・面白さ]を忘れてしまいがちになるように思います。最近では哲学カフェや哲学対話の実践を哲学プラクティスと呼ぶようですが、一見なんの変哲もないテーマについて、その場で出会った方々と哲学的に掘り下げて考え、語り合ってみることで、自分にはなかった考え方や、驚きを通して、[楽しさ・面白さ]を他者との実践を通して体現していくことに醍醐味があるのだと思います。

 

哲学というと理詰めに考えていったりするという堅苦しさのイメージがあるかもしれませんが、[楽しさ・面白さ]という面はとても重要な面であろうと思います。

 

また、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』で語られていたようなことがふと話題になったときがあり、私はなぜか森の哲学講義の動画が頭に浮かびました(笑)。映像というのはやはりインパクトが大きいのかもしれません。下記の動画は今回の話題とあまり関連はありませんが、youtubeにまだ残っていましたのでよかったらどうぞ。

 

2018年8月25日には哲学プラクティス連絡会が立教大学池袋キャンパスで開催されます。

参加される方は参加お申し込みをお願い致します。

一般参加は2000円になります。

大学生・大学院生 1000円

高校生以下 無料となっております。

プログラムの詳細につきましてはこちら要旨pdf

 

話は変わりますが、親睦会の中で本のレビューができるようにしてみてはどうか、というアドバイスを頂いたので早速、レビュー機能をつけてみました。会員登録なしでレビューができるようにもいたしましたので、みなさんの本の評価なりを書いていただけたらと思います。(レビュー機能についてはまた改めて記事を書こうかとおもいます)

京都マルイ 夏の古本市

京都マルイ 夏の古本市

京都マルイ 夏の古本市

2018年8月16日~2018年8月19日まで

10時30分~20時30分(最終日は19時終了)

阪急電鉄京都本線 河原町駅 下車
京都マルイ(店頭四条通り側) 京都市下京区四条河原町真町68
京都の古本屋が参加いたします、ぜひ立ち寄ってみてください。

哲学堂書店webストア 出品強化実施中~

哲学堂書店webストア 出品強化実施中~

amazonに登録されていない、なかなか見つからない古書を出品強化中です。

また訳あり商品のカテゴリーでは、読む分には問題はないけれども、カバーや付属の箱がなかったりする本を大特価にて出品しております。相場数千円の品物でも200円前後で出品しております。

読めればいいという場合に最適です。

セット物などもまとめて出品しておりますので、ぜひご覧ください。

洋書も次々出品中です。

Georg Wilhelm Friedrich Hegel Sämtliche Werke 全22巻

Marx-Engels-Gesamtausgabe

Sämtliche Schriften. Von Karl Löwith. Band 1 bis 9

などなど、これからもどんどん出品していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

西田幾多郎の実在論

西田幾多郎の実在論

AI、アンドロイドはなぜ人間を超えられないのか
池田 善昭 著
2018年8月8日 発売中
明石書店

西田幾多郎の実在論

amazonで見る⇒西田幾多郎の実在論――AI、アンドロイドはなぜ人間を超えられないのか
紀伊國屋書店で見る⇒西田幾多郎の実在論――AI、アンドロイドはなぜ人間を超えられないのか

それはAIが時間の本質を決して理解できないから。答えは本書の中に
世界は存在するのか、しないのか。生命とは、人間とは何か――西田幾多郎の哲学は世界のあり方を根源から問う実在論であった。行為的直観、自覚、絶対無の場所、絶対現在、永遠の今、絶対矛盾的自己同一といった西田独自の概念を、生命論を手がかりに考察することを通して西田哲学と一体化しつつ、自身の思索を深化させる池田哲学の真骨頂が展開する。ピュシス(自然)の発する声に耳を傾けた、『福岡伸一、西田哲学を読む』の続編。(引用)

第1章 西田幾多郎の根本的思想――実在、時間、宇宙意識
第2章 西田幾多郎の実在論――アンドロイドはなぜ人間を超えられないのか
第3章 生命と場所――福岡伸一と西田幾多郎
第4章 カントにおける近代科学の論理をどう乗り越えるか
第5章 愛と時――他者問題をめぐる西田幾多郎の思想について
あとがき

前編はこちら

福岡伸一、西田哲学を読む

amazonで見る⇒福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一
紀伊國屋書店で見る⇒福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一

デカルトと哲学書簡

デカルトと哲学書簡

山田 弘明 著
2018年8月3日発売中
知泉書館

デカルトと哲学書簡

amazonで見る⇒デカルトと哲学書簡
紀伊國屋書店で見る⇒デカルトと哲学書簡

17世紀のヨーロッパにおいて、書簡は公開を前提としたものも多く、学問にとって重要な情報・意見交換のツールであった。デカルトも当時の多くの学者たちと往復書簡を交わしており、737通が残されている。そこでのやり取りを通してデカルトは自らの思想を練り、著作を残していった。彼にとって書簡は、思索の場であり、まさに「知性の実験室」であった。
・第I部「デカルトの生活と思想」では、膨大な全書簡の中から特に印象的な文言を年代順に取り上げ、デカルトの生涯と思索を辿る。

・第II部「精神と身体」では、デカルト哲学の中でも重大な課題である心身問題に焦点を絞り考察。
西田哲学との比較や、デカルトが精神と身体との区別をどう考えたのかをエリザベトなどとの書簡から読解する。

・第III部「論争のさなかで」では、レギウス、アルノー、モアとデカルトの往復書簡での論争を検討する。
デカルト自身の立場の特異性や同時代の論争相手がデカルト哲学を受容した実態が浮かび上がる。
(引用)

はじめに
第 I 部 デカルトの生活と思想
第一章 誕生1596年~『方法序説』前後1638年
1 空咳と青白い顔
2 送金
3 斜視の少女
4 真面目な研究へ
5 自分で相続したもの (以下,19まで)
第二章 『省察』準備期1639年~『哲学原理』1644年
20 空虚の否定
21 真理
22 松果腺
23 数学の歴史と数学の知
24 『省察』の回覧 (以下,47まで)
第三章 『情念論』準備期1645年~客死1650年
48 農民への恩赦
49 尊敬する人々との交際
50 振動中心の決定
51 原理の二義
52 『君主論』 (以下,74まで)
第 II 部 精神と身体
第四章 心身合一の世界――デカルト哲学と西田幾多郎
第1節 デカルトと心身合一
第2節 西田幾多郎と心身合一
第3節 西田=デカルト仮想論争
第五章 心身の相互関係――エリザベト書簡と『情念論』
第1節 テキスト一覧
第2節 テキスト間の解釈
第3節 生の経験
第4節 精神と小さな腺
第5節 結論
第六章 精神と身体との区別
はじめに
第1節 テキスト的吟味
第2節 思考の停止は存在の停止か
第3節 私とは実体であるか
第4節 私の本質は思考のみか
第5節 精神は身体から完全に区別されるか
第6節 精神は身体なしにあるか
おわりに
第七章 人間精神と動物-機械論
第1節 人間と機械
第2節 人間と動物
第3節 まとめ
第 III 部 論争のさなかで
第八章 ヘンリクス・レギウス
第1節 レギウスとデカルト
第2節 認識の諸問題
第3節 精神と身体
第4節 結論
第九章 アントワーヌ・アルノー
第1節 アルノーとデカルト
第2節 精神はつねに思考するか
第3節 精神がなぜ物体(身体)を動かすか
第4節 神は矛盾をなしうるか
第十章 ヘンリー・モア
第1節 モアとデカルト
第2節 延長の定義
第3節 動物に思考はあるか
第4節 心身の相互関係
あとがき

アプリで簡単査定を導入いたしました

アプリで簡単査定を導入いたしました

遅ればせながらアプリで簡単査定サービスを導入いたしました。

スマホで写真を撮り、その写真を送っていただくことで、電話やメールのやりとりなしで査定をお伝えすることができるサービスです。

現物の写真を見ながら査定ができますので、買取可・不可からより正確な金額をお伝えすることができるようになります。

書き込み具合やヨゴレ具合、ヤケ具合の強弱など言葉だけでは伝わりにくいところがございますので、撮った写真を見せて頂くことで査定額をお答えすることができます。その他、買取の件でわからないことや質問などもお待ちしております。ぜひご利用してみてください。

 

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・問題のある箇所(傷み・ヤケ・ヨゴレなど)がありましたら撮影してください。
・その他質問などはコメントでお知らせください。
・場合によってはお値段のつけられないお品物もございますのでご了承ください。

 

さんちか古書大即売会

さんちか古書大即売会

兵庫県の古書祭り さんちか古書大即売会 年2回開催しております。

2018年8月2日~8月7日 まで開催中です。

場所:神戸三宮3番街・さんちかホール
クーラーもよく効いている環境でございます。

一般書から歴史・文学・美術・郷土誌・資料類・初版本・ポスター・版画・絵葉書・地図などの優品が集まります。
猛暑の中ではございますが、どうぞお立ち寄りください。